こんにちは、髙杉です。今日は、心療内科のお話をします。


はじめに

前回は、不快な感覚のまわりに余白を広げて、「そこにいていいよ」と居場所を作るエクスパンションを紹介しました。消すのでも、耐えるのでもなく、あることを許す。少しずつ、その感覚と闘う力が抜けてきた方もいらっしゃるかもしれません。

ところが、居場所を作ってみたものの、その感覚に向ける自分の目が、まだどこか冷たいままだったということはないでしょうか。「いてもいいけど、早くどこかへ行ってほしい」「こんなことで苦しくなるなんて、自分は弱いな」。許したつもりでも、心の中では、その感覚を冷ややかに横目で見ている。

もし、つらさを抱えているのが大切な人だったら、責めたり急かしたりせず、そっと寄り添うでしょう。それなのに、つらさを抱えているのが自分だと、「早く何とかしなさい」と、自分自身を急かしてしまいます。

今回は、大切な人に向けているその優しさを、つらさを抱えている自分自身にも向けてみる「優しい手」のエクササイズを紹介します。ただし、目的はつらさを消すことではありません。「早くどこかへ行ってほしい」という冷たい目が「消したい」の裏返しなら、優しさもまた「消すための道具」にすり替わりやすいからです。「つらさを消すために優しくする」ことと、「つらさがあるままで優しくする」ことは、同じではありません。


背中に手を置くとき

思い浮かべてみてください。大切な人が落ち込んでいたり、体調が悪くて苦しそうにしていたりするとき、あなたはどうしているでしょうか。私だったら、そっとその人の背中に手を置きます。

こんなとき、できることは多くありません。その苦しみを取り除くことはできませんし、気の利いた言葉も出てきません。それでも、ただそばにいて、手を置く。

このとき、手は何を伝えているのでしょうか。「私があなたを治してあげる」とか「早く元気になってちょうだい」ではありませんね。「なにも出来ないけど、あなたと一緒にいることを選ぶ」「落ち込んでいるあなたでも、受け入れている」「私はあなたの味方だよ」。そんなメッセージを伝えるために、手を置くはずです。

体の不調やつらさとの関わりにも、似たところがあります。治療や対処をしたうえでもすぐには取り除けないつらさには、自分自身でそっと手を添える。それが、自分にできる最善になることがあります。


「消すために優しくする」と「つらさがあるままで優しくする」は違う

「消すために優しくする」場合、優しさは「消すための道具」になっています。温めたらラクになるはず、手を置いたら消えるはず。そう期待して手を置くと、消えないときに「まだ消えない」「効いていない」と、また感覚との闘いに戻ってしまいます。前回お話しした、闘うことで生まれる二次的な苦しさが、ここでも顔を出すのです。

一方、「つらさがあるままで優しくする」場合、つらさが消えるかどうかとは関係なく、いま苦しんでいる自分に優しさを向けることそのものに意味があります。つらさが消えなくても「効いていない」ことにはなりません。先ほどの背中に置く手も、相手を治すためではなく、苦しんでいる相手のそばにいるための手でした。

つらさが消えないのであれば、なんのために優しさを向けるのでしょうか。エクスパンションでつらさに居場所を作っても、「こんなの自分だけ」「なんでこんなに弱いんだ」と、心のどこかで自分を責める声が残ることがあります。この声は、つらさそのものとは別に、もう一つの苦しさ、孤立感や恥の感覚を重ねてしまいます。

だからといって、この声を無理に黙らせようとすれば、また新しい闘いが始まります。優しさが向かう先は、声を消すことではなく、その声があっても支配されずにいられること、そして一人で苦しんでいるのではないと、自分自身に示すことです。

結果として、ラクになることはあるでしょう。ただ、それは「消すために」やったことの成果ではありません。「闘わずに、そばにいた」ことの結果として、あとから気づくものです。


優しい手のエクササイズ

このエクササイズは、ACTの臨床家ラス・ハリスが『The Reality Slap』で紹介している「優しい手」がもとになっています。もとの練習の核は、優しい手を痛む場所に置き、手のひらから温かさが流れ込むイメージを持つことです。つらさのある場所に優しさを向けることは、そのつらさを抱えている自分自身に優しさを向けることでもあります。前回のエクスパンションで広げた余白は、そのままにしておいてください。今日は、そこに優しさを届けます。

始める前に。つらさのある場所に触るのが苦手な方は、無理に触れなくて構いません。首や肩をさする、額や腕をなでるなど、自分にとって優しい仕草に置き換えても、手を近くに添えるイメージだけでも大丈夫です。強いつらさや、つらい記憶が湧いてきそうなときは、続けずにやめておきましょう。

  • 優しい行為の記憶を思い出す:あなたが手を使って、誰かに優しくしたときのことを思い出します。つらそうな人の背中に手を置いたとき、子どもをぎゅっと抱きしめたとき、ペットをそっと撫でたとき。そのときの手の感触や相手の温もり、「この人の力になりたい」という気持ちを、できるだけ思い出します。思い浮かぶ場面がなければ、「とても優しい誰かの手だ」と想像するだけでも十分です。
  • 手を置く:その優しさを込めた手を、不快な感覚のある場所に、ゆっくり置きます。服の上からでも大丈夫です。はっきりした場所がなければ、胸の中央に置いてください。
  • 温かさを送る:その手を通して、あのときと同じ優しさを、自分自身に送ります。手のひらの体温が、前回広げた余白に、じんわりと沁み渡るのを感じます。ただし、温かさは、つらい感覚を消すためのものではありません。つらさがあるままで、広がっていく優しさを味わいます。
  • 言葉でも伝える:つらい感覚に、心の中で「そこにいていいよ」と、改めて声をかけます。自分自身にも、「よく頑張っているね」「ひとりじゃないよ」と声をかけてあげます。言葉にならなければ、このステップは省略しても大丈夫です。

5秒でも5分でも構いません。長さより、優しさの向きが大切です。もう片方の手を胸やお腹に添えて、両手で自分を抱くようにしてもよいでしょう。

前回の「鉄の球」があるなら、温かさで無理やり溶かそうとはせず、球はそのままに、そのまわりの空間が温まっていくイメージにします。途中で「まだ消えないな」と思っていることに気づいたら、それは、また「消すために」に戻ったサインかもしれません。責める必要はありません。背中に手を置いたときの気持ちに、そっと戻ります。


なぜ、手と記憶を使うのか

手で触れることそのものにも、体への働きがあると報告されています。効かせるために行うものではありませんが、参考までに。健康な若い成人を対象とした実験で、ストレスのかかる課題のあとに、自分の胸とお腹に手を当てたグループは、手を当てなかったグループよりも、ストレスホルモン(コルチゾール)の反応が小さかったとされています。両手で胸とお腹に添える形は、先ほどお伝えした、両手で自分を抱く形に近いものです。ただし、これは一つの研究の結果で、不調を抱えている方で同じかどうかは分かっておらず、効果にも個人差があります。

もう一つ、優しい行為の記憶を使うのにも理由があります。「自分に優しくして」と言われても、どうすればよいのか分からない方は少なくありません。一方で、人に優しくした経験なら、私たちはすでに何度もしています。その記憶を思い出すと、そのときの手の感触や気持ちが一緒によみがえり、自分にも優しさを向けやすくなります。


おわりに

優しい手で大切なのは、つらさを消すために優しくすることではなく、つらさがあるままで優しくすることです。「消す」ためではなく、「そばにいる」ために。人の背中に手を置けるその手は、あなた自身にも向けられます。

まずは、少し気持ちに余裕のある時間に、誰かに優しくしたときのこと、たとえば背中に手を置いたときのことを思い出して、その手を、自分のつらさのある場所にそっと置いてみてください。5秒で構いません。消えなくても、それで大丈夫です。消えるかどうかより、手を置けたことのほうを、大切にしていきましょう。